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千手院の歴史

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■千手院略縁起

千手院は奈良時代、第四十五代聖武天皇の御代の天平年間(七二九~七四九年)、春日仏師が千手観音菩薩像一体を石神(現在の臼井)の地の精舎に安置し、蓮華王院と称したことに始まります。

六百年の後、源暹(蓮華王院住職)と法流のある澄秀(千手院中興の祖)の夢枕にご本尊千手観音が現れました。光り輝き、威厳に満ち、衆生を漏れなく救うその有難い姿に驚き、澄秀は仏法護持興隆と衆生救済を宣言しました。そして、千葉氏一族である臼井高胤の仏法信心の深さを感じ、同氏を大檀主としました。

澄秀は明徳三年(一三九二年)、兵火に罹るのを憂慮し、高胤を頼り、稲野の地に精舎を遷移しました。お寺の名は稲の獲れる農地であるがゆえに稲野山。肥沃で穏やかな整った大地を金剛盤に見立て金剛盤形寺。院号は本尊千手観音菩薩より千手院と定めました。そして境内地を加増し、堂宇を整え、 檀林寺院(僧侶の学問修行道場)となりました。

千手院は常陸、下総、武蔵三州の叢林と称せられ、奈良、京都の本寺の醍醐・御室の兼帯、七色の法衣着用及び菊の紋章の許可を得ておりました。

江戸時代中期には寺勢が盛んになり、本山長谷寺の中本寺として北総台地(下総国)を中心に多くの末寺、門徒がありました。

千手院の概要

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宗 派   真言宗豊山派

寺 号   稲野山千手院金剛盤形寺

御本尊   千手観音菩薩

宗 祖   弘法大師 空海(七七四~八三五)

中興の祖  興教大師 覚鑁(一〇九五~一一四三)

​千手院の四季

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